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2011年6月11日 (土)

肺の10%切除

東日本大震災から3ヶ月。
あの地震と津波の日から、自分はどう変わっただろうか。

■5月27日 (入院2日目=手術日) つづき

・・・・・・

 目の前の狭い範囲が、明るくなってくる。
 が、焦点が定まらず何も見えず、体も動かない。
 -これはきっと夢だな-、と思う。
 -手術が終わったにしては早すぎる-、とも思う。
 意識が少しずつ戻ってくるような気がする。だが、体は動かない。
 -夢だよな。でも、もしかしたら夢じゃないのか?-
 しばらくすると、周りの物音が聞こえてくる。
 -やっぱり夢じゃない。ずいぶん早いけど、どうしたんだろう?-
 周りの人に聞いてみようと思うが、声が出ない。
 口を動かすためにもがいていると、ようやく力が入った。
「いま何時ですか?」
 夢かどうか確かめるために、聞いた。
「12時半です」
 手術室に入ってから、4時間がたっていた。
 いちばん知りたいことを尋ねる。
「がんだったのですか?」
「がんではなかったようです」
 -そうか!、やっぱり-
 自分の感覚がやはり正しかったと思ったが、嬉しいとは思わなかった。それよりも、気になっていたことを尋ねた。
「どれくらい切ったのですか?」
 腫瘤だけを小さく切ったはずだと期待した。
「(左肺上葉の)舌区を切りました」
 -えっ! がんでないのに、なぜそんなに大きく切ったの?!-
 ショックだった。
 -がんでない場合は、腫瘤だけの部分切除ではなかったのか!-
 -いったい何が起こったんだ?-
 呆然とした。
 まだよく動かない頭のなかで、「なぜ? なぜ?」と自問した。
 左肩甲骨のあたりに、強い肩こりのような痛みを感じ始めた。

 そのうちベッドが押されて、広い部屋に移る。首が動いたので周囲を見ると、患者が横たわったベッドが何台も並んでいた。
 しばらく待つと再び動きだして、ベッドごとエレベーターに乗りどこかへ連れてゆかれた。
 見覚えのあるカウンターを通ったなと思ったら、病室のドアが目に入り、その前に満面の笑みを浮かべた妻の顔があった。
 -そうか、がんじゃなかったことを喜んでいるんだな-
 人ごとのように思った。
 一緒にいた0歳の次男も、目をぱっちりと開けていた。
 今朝までいた病室に戻る。そういえばいつの間にか、手術台ではなく病室のベッドに寝かされていた。しばらくすると移動式のレントゲンがやってきて撮影する。それが終わると、両親や妻たちが部屋に入ってきた。
「いやー良かった、良かった!」
 父が嬉しそうに言う。
「緊張の糸がきれたわよ」
 母も言った。
 みな、がんでなかったことに心から安堵していた。
 僕はぼそりと言った。
「がんじゃなかったのに、なぜ大きく切られたんだ?」
 妻が驚いた声で、「不満なの?」と聞いた。
「がんでなかったら最低限の切除にすると言っていたんだ・・・」と僕は答えたが、家族はみな、そんなことよりがんでなくて良かったと喜んでいた。
 両親らが手術後に聞いた話によると、腫瘤は「非定型抗酸菌」によるものだったらしい。聞いたこともない名前だ。妻は、それが子どもに移るものかどうかを気にしていた。
 左胸と背中の左側が、だんだんと痛くなる。傷口から遠いところから麻酔が切れてゆくため、周辺部から痛みがおそってくる。肩こりのような痛みは、腕を上げて横向きの姿勢で手術を受けたためらしい。麻酔が切れるとともに、だんだん寒くなってきた。家族は「暑いくらいよ」というが、動かない体が震えるほど寒い。看護婦さんにいうと、電気毛布を持ってきてくれた。
 1~2時間して、「非定型抗酸菌」が人に移るものではないことがわかると、両親と妻たちは安心して帰っていった。

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 1人になると、時間のたつ速さが急に遅くなる。
 ときおり看護婦さんが来て、傷口を見たり点滴の液を変えたりするが、ほかには何も変化がない。痛みがだんだん増して、熱も出てきた。
 胸のなかに管が入っているはずだが、患部は感覚がないのでよくわからない。鼻には酸素のチューブが当てがわれて、胸や指先にもセンサーがつけられ、右手首に点滴の管が入り、背骨には痛み止めを直接注入するチューブが刺しこまれている。さらに両脚には、血栓予防のためのマッサージ器具が巻かれて動いている。
 尿道の先が痛いような引っかかったような違和感があったので見てみると、なんと細い管が入っていた。
 -えーっ、こんなこと聞いてない!-
 今さら驚いたところで、あとの祭りである。トイレにも行けないのだから仕方ない。
 体に多くのチューブがつながっていると思うと恐怖だが、今はそれよりも肺が切りとられた衝撃と痛みに耐えることが先決だった。
 寝ようと試みるが、なかなか寝られない。それでも何度かうとうとすると、窓の外が暗くなってきた。雨が降っている。今日が梅雨入りらしい。
 ひとり窓の外を見ていると、中学校剣道部の先輩だったD医師が入って来た。
 がんでなかったことを「よかったね」と言ったあと、
「またトレーニングすれば、元の体に戻るから」、と言ってくれた。
 痛みに同情するような、申し訳なさそうな顔をしていた。
 そのときはDさんが何を言いたいのかわからず、わざわざ病室に来てくれたことがありがたくて、「はい、はい」と返事をするだけだった。

 すっかり暗くなってから、再びドアの開く音がしたので目を開けると、執刀したS教授が1人で来てくれた。
 がんではなく非定型抗酸菌らしきものが見つかったこと、肺全体の10%にあたる左肺上葉舌区を切除したこと、診断が確定するには数週間必要なことなどを話してくれた。
 「がんではなかったのに、なぜ舌区を全部切除したのですか?」と尋ねたかったが、熱と痛みにやられた体では、質問するエネルギーが出なかった。
 S教授が帰ってしばらくすると、消灯時間になった。

 背中が痛くて、苦しいのに、寝返りも身動きもできない。こんなことで夜を越せるのだろうか。
 1時間毎に時計を見るが、その度に朝が遠いことを確認してがっかりする。

 真夜中にナースコールをして、看護婦さんに来てもらった。背中が潰れるような感覚におそわれたので、寝返りをさせてもらった。だが半身になるのも辛いので、あまり改善しない。
 看護婦さんがいなくなると、再び、痛みに耐えながら時間がたつのを待った。ボーっとする頭で、「なぜ部分切除ではなかったのか」と、何度も考えた。
 朝は、まだまだ先だった。
 長く、辛い夜だった。

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