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2011年6月14日 (火)

家族の力

 今日で退院から10日目になる。
 この間は小さい子どものいる自宅に帰らず、両親の住む実家で静養していた。この10日間でだいぶ歩けるようになり、床にひいた布団で寝起きができるようになった。数日前までは傷の痛みのため、背を上げ下げできる介護用ベッドでしか寝られなかったのだ。
 実家で久しぶりに両親と生活をともにして、多少年老いた姿も目にしたが、2人がまだ元気だということを確認した。今回のことではずい分心配をかけたが、僕が好きなことを続けられるのは、両親が健康で介護などが必要ないおかげだ。改めて感謝。
 そして明日は、妻と子どもたちが待つ家へ帰ることができる。今回の病と入院でいくつものことを考えたが、そのうちの大きな1つは、自分にとって家族がいかに大切なものかということだった。

■5月29日 (入院4日目)
 手術から2晩目は、座薬の痛み止めを使ったため、痛みも熱も少なく落ちついた夜だった。夜中には、1人でトイレにも行くことができて、これからの入院生活に自信をもてた。
 朝食は、パンと野菜炒めなど。味の組合せが今ひとつだが、お腹がすいていたのでほぼすべて食べる。3日ぶりのまともな食事だった。さらに、前日Aさんが持ってきてくれたサクランボをいただく。「入院のお見舞い」というと独特のイメージがあるが、そのイメージどおりの高価でスペシャルで甘酸っぱい味だった。
 前日車いすで行ったレントゲン室へ、今日は歩いてゆく。その後、熱いタオルで看護婦さんに背中を拭いてもらい、着替えをした。

 その後、研修医がたくさん来て、胸のあたりを触ってゆく。肺の傷から空気漏れがないか確かめたようだ。
 彼らと前後して、呼吸器内科のH医師が病室へわざわざ来てくれた。H医師は順天堂医院で最初に診察をしてもらった先生だ。4回受診してその率直な説明の仕方を信頼するようになったし、だからこそPET検査後に「肺がんの疑いが強くなったので、内科の診察は終了します」と言われたときには、見放されたような寂しいような思いを感じた。
 H医師は、僕と同年代だと思う。教授クラスの先生と違い構える必要がないので、今日もいろいろと質問した。
 「肺がんの可能性が95%以上」と言われたことに触れると、「手術をした結果、がんではない可能性が95%くらいになりました。でも今後の病理診断によっては、がん細胞の見つかる確率は0ではないですよ」と言った。そうか、まだ手放しで喜んではいけないのだなと、気を引きしめる。
 いちばん知りたい「なぜ部分切除ができなかったか」という質問も、ぶつけてみた。「執刀した先生と話をしていないのでわかりません」という答えだった。内科の医師としては仕方ないだろう。それらの答えに不満がないでもなかったが、それよりも、H医師が手術後に再び会いに来てくれたことが嬉しかった。

 午後は、妻と子どもたちがやって来た。次男は手術日にも来たが、4歳の長男と会うのは入院後初めてだ。
 4歳というと幼いと思うかもしれないが、言葉が未熟なぶん感受性が鋭く、大人同士が話している内容を言葉と雰囲気の両面からかなり察知している。今回入院するにあたっては、手術やその後のことをできるだけ隠さず長男に話すようにした。入院前に、「話したいことがある」と切り出したときにはビクッとしていたが、手術を受けたら必ず治るというと、少し安心したようだった。
 この日も、自分の状態をできるだけ見せておきたいと思って、手術の傷の写真を見せたのだが、大きな傷跡は恐かったようで一目見て後ずさりした。保育士の妻も「子どもにはショックよ」と言ったが、この弱った状態から回復してゆく過程を、途中の苦しみも含めて見せておきたいと思った。
 幼い子どもに、なぜそこまでしようと思ったかというと・・・、
 肺に影が見つかったとき、自分はもう子どもたちとの約束を守れないのかと嘆き、悲しさと悔しさがこみ上げた。その後診察を重ねて、肺がんの確立がどんどん高まっていったが、僕の気持ちは逆に落ちついてゆくようなところがあった。子どもたちの顔を見ていると、自分が病気で死ぬわけがないと思うようになったのだ。
 天真爛漫で、小悪魔のようで、天使のようで、泣き虫で・・・。生命力にあふれた2人の我が子と一緒にいると、その無限の力が自分にも伝わってくるような気がした。そして、この子たちを残して自分だけいなくなるようには、この世界はできていないと、勝手に思っていた。甚だ身勝手な考えだっただろう。そうでない悲惨なケースが、世の中には多くある。
 だが結果的に、その思いが肺がんと宣告された僕を支えてくれた。つまり、子どもから生きるパワーをもらったのだ。自分の力だけで生きてゆけるとどこかで思っていた僕にとって、それはかけがえのない経験だった。
 病室のベッドに座っていると、長男がすりよってきた。胸から出ているチューブに引っかかるのが恐かったが、ベッドの上でしばらく一緒に座った。「ありがとう、あさひ、すばる」

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 しばらくすると、毎日新聞の連載でお世話になっているTさんご夫妻も見舞いに来てくれた。死ぬような病はいやだが、自分が多くの人に支えられているのを気づかせてくれることもある。
 その後、長男は病院の雰囲気に息苦しさを感じたのかダダをこね始め、次男は暑がって泣き始めた。そろそろ子どもの限界と、みな帰っていった。
 夜が近づくと、また38℃台の熱が出てきた。開胸手術からまだ2日しかたっていないのだ。看護婦さんに相談すると、退院後の生活を考えるなら座薬はなるべく使わないほうがいいという。今晩は我慢できそうな気がしたので、使わずに寝ることにした。

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