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2011年6月 7日 (火)

手術前夜

 退院して3日目。
 手術による背中の傷口は落ちついてきたが、肺のなかの傷は咳をするとまだ痛む。
 昨日から、リハビリテーションのために散歩を始めた。息が上がると肺が痛みそうなので、信じられないほどゆっくり歩く。1周1km弱の池の周りを30分かけてのろのろ歩くだけだが、自分の足で外の世界を歩きまわれることが嬉しい。

 入院の話に戻ろう。

■5月26日 (1日目)
 入院前夜は遅くまで雑用を片づけていて、3時間しか寝れなかった。
 朝8時前、容量55Lの登山用ザックに着替えや洗面具・パソコンなど詰めこんで、担いで出発する。これから肺がんの手術を受ける人間だとは、誰も思わなかっただろう。

 9時過ぎ順天堂医院に着いて、9階の病室へ。広くはないが、冷蔵庫や洗面台など一通りそろった居心地のよさそうな部屋だ。
 前日の連絡では1日4万円!の個室に入れられそうになったのだが、頼みこんで安い病室を探してもらい、ハイケア室と呼ばれるこの部屋に入院させてもらえることになった。

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 助教のM医師から手術の説明を受ける。
 左肺の上葉にアプローチするため、背中左側を肋骨にそって15cmほど切開し、さらに胸腔鏡を入れるため小さな穴を別に開ける。僕の左肺上葉は普通の人と違い、上区と舌区の2つに明瞭に分かれているらしい。その上葉の舌区にある直径18mmの腫瘤を取りだして、顕微鏡で観察し迅速病理診断をする。そのために、
①可能であれば、腫瘤周辺部のみの「部分切除」をおこなう、
②動脈に近い等の理由で部分切除が難しければ、舌区全てを切除する「区域切除」をおこなう
とのことだった。
 そして、がんであればリンパ節を含めて侵された部分をすべて切除し、がんでなければ傷口を閉じて終了となる。
 がんならばどのように切りとるかはお任せするしかないが、もしがんでなければ切除範囲をできるだけ小さくしてほしい希望を再度伝えた。
 M医師は、「95%はがんでしょう」と言った。

 その後レントゲンを撮り、採血をする。
 採血は、パンツを下ろして、足のつけ根の動脈からとった。太い注射を刺された痛みと、陰毛のかたわらの注射器にたまってゆく深紅の血液を見て、自分が明日手術を受ける患者であることを、改めて実感した。
 しばらくすると、先ほど採血をした医師とは違う人が来て、採血をやり直させてほしいと言う。もう1度注射を刺されて、血を採られた。そんなことが2度あった。1度目は撹拌が遅れて血が固まってしまったという理由で、もう1度は測定機が壊れたという理由で。最初に採血した医師は大学院生かと思うが、緊張感のない医療行為は、明日手術を受ける患者を不安にさせる。

 昼は父と2人で外出し、御茶ノ水の’山の上ホテル’の料理屋へ。すべての肺がある体での最後の食事だと思い、天丼セット4,200円を注文した。むろんおいしいが、明日のこの時間には肺の一部がなくなっていることを思うと、とても貴重なものを食べている気がした。

 午後は、看護婦さんや麻酔科の医師など何人もの方が次から次へと病室へやってきて、説明を受け、同意書の署名など求められた。
 早い時間に風呂に入り、手術のために左の脇毛を剃る。
 5時過ぎ、病室の整理などしていると、山岳部の先輩2人がやってきた。入院のことは最低限の人にしか伝えていなかったので、びっくりする。ある人に伝えた内容が回り回って、伝わったのだという。わざわざ来てくれたことが嬉しくて、いろいろな話をした。

 夜はネットをつなげるためにバタバタして、9時の消灯時間にようやく落ちついた。
 病室のベッドに横たわったときは、平穏とまではいかなかったが、それほど高ぶった気持ちでもなかった。

 手術は不思議である。手術を受けると言うと、「頑張って」といわれることがあるが、手術中は眠らされるだけで、その間に自分が努力することは何もない。
 手術のために頑張ることは、手術前にほぼすべて終わっている。
 予期しない病気に驚き嘆き、病院選びや治療法の選択を思い悩み、数々の検査を受けて一喜一憂し、風邪を引いて免疫力を落とさないよう気を使い、手術までの日々に何をすべきか考えて実行する。直前10日間は毎日ランニングをして、明日からヒマラヤへ行けるほど体調はよかった。だから、やるべきことはすべてやったと思えていた。それが、多少なりとも落ちついた気持ちでいられた理由だろう。

 9時半過ぎ、うとうとする。
 翌朝までに何度か起きたが、前夜の睡眠不足を解消する程度には眠ることができた。

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