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2011年6月13日 (月)

チューブがはずれる

 リハビリのために散歩する速さが、少しずつ速くなってきた。胸のなかの刺すような痛みも収まってきて、今日は手術後初めて痛み止めを飲むのをやめた。
 肺を締めつけられるような違和感はまだ強く、元の体に戻るまではほど遠いが、1日ごとに回復する実感がある。
 4年前に赤ん坊が生まれたとき、日々成長する力に驚いた。そのとき、自分は最近成長していないとため息をついたが、今回、成長にも似た回復力が自分にまだ備わっていることを知って嬉しくなった。これならば半年後にはヒマラヤ行きを再開できるかなどと考えたりしたが、早計だろうか。。

■5月28日 (入院3日目)
 長い夜が明けた。
 7時前、寝たのか寝てないのかわからない状態でいるのを看護婦さんに起こされて、検温と血圧測定をした。続けて、脚のつけ根の動脈から採血する。背中と肺は変わらず痛むが、息ができないような圧迫感はいく分和らいだような気がした。
 その後若い医師がやってきて、「今日からベッドの背を上げて座りましょう」と言いながら、有無を言わさず電動スイッチを押した。何の心構えもなかったので「え~っ!」と驚くが、実際にベッドの背が上がると、それほど痛みもなく座る姿勢になれて安心する。
 「次は水を飲みましょう!」
 事前には聞いていたが、胸が痛いのに飲めるのかと怖気づく。小さな水差しを差しだされて、おそるおそる口に含むと、少量を2口飲みこむことができた。手術前の説明では、手術後1日目の今日から食事をして、歩かなければならない。傷もくっついていない体で、そんなことができるのだろうか。

 しばらくすると可愛い看護婦さんがやってきて、パジャマに着替えましょうという。そういえば手術着を着たままだが、自分1人では着替えられそうもない。まだ20代前半の看護婦に、手とり足とり着替えさせてもらうしかなかった。パンツはどうするのか戸惑っていると、彼女は何の躊躇もなくT字帯(ふんどし)を外してパンツを履かせてくれた。こちらが恥ずかしくなる。よりによって昨日履いていたヨレヨレのパンツしか見つからず、情けない。
 その下着を履くときに、必要に迫られて初めて立った。体につながれたさまざまなチューブを気にしながら、足をベッドの下に下ろして、体重を少しずつ足にかけてゆく。看護婦が「すごい!」と言ってくれて、ちょっと自信がでた。
 その後、人生初めて車いすに座らされて、レントゲン撮影へ。車いすに乗るのは気恥ずかしかった。

 病室に戻ると今度は男の看護士が来て、「必要なくなったものを外してゆきましょう」と言う。まず、鼻についていた酸素チューブをとり、両脚に巻かれていたマッサージ器具を外す。そして、尿道から膀胱まで入っている管も抜くと言う。抜くとき痛いのではないかと身構えたが、「深呼吸をしてください」と言われて息をはく間に、スルッと抜いてくれた。あそこが痛くなるのは情けないし辛いと思ったが、心配なかった。それよりも男の看護士が来てくれてホッとした。

Dsc00867ss_2               背中の傷口  左脇腹には胸内部からのドレーン、背中中央上には脊髄に刺しこまれたチューブ

 昼食は、他の患者と同じ一般食がだされる。大盛りチャーハンにおかず2~3品だったが、チャーハンを数口とおかず1口しか食べられなかった。残念。手術直後はお腹がすいて、グーグーなっていた記憶があるのに。

 今日は、知人が見舞いに来る日だ。昨夜うなっていたときは、見舞いに来られても何もできないと心配したが、今なら少しぐらいは対応できそうだ。
 午後2時に、見舞い客2人と父がやってきた。2人のうちのPは、京都の大学に留学するチベット人の女の子。遭難した友人を探すために通った中国の梅里雪山に、彼女の故郷がある。彼女の父と僕は友達で、3年前に来日してから面倒を見てきた。もう1人のTは、山岳部の後輩だ。2人とも、京都から夜行バスで来てくれた。わざわざ来ることないと言ったが、平坦ではなかったPの日本での3年間を思うと、彼女の気持ちが嬉しかった。がんでなかったことを話すと、喜んでくれた。
 話をしていると看護士がやって来て、「トイレへ行ってみましょう」と言う。歩くのは初めてだ。今朝同様に慎重に立って、おそるおそる足を前に出す。傷の痛みや体につながるチューブのため、自分でも信じられないほど遅くしか進めないが、トイレまでの数十mを自力で往復できたことは、自信になった。
 戻ると、心電図と指先のモニターを外してくれた。少しずつ身軽になってゆくのが気持ちいい。
 4時過ぎには、入院初日に来てくれたAさんが再びやってきた。しばらくみんなで話をしていたら、熱が上がって頭がボーっとしてきた。まだ無理はできないということか。話をする気力がなくなりベッドに横になっていると、みな帰っていった。

 しばらく大人しくしていると看護婦がやって来て、両脚に履いていた血栓予防用のきつい靴下を脱がせてくれて、手術後ずっとつながっていた点滴も外してくれた。点滴用の針は腕に刺したままだが、大物が1つ外れた感じで嬉しい。手術後1日目で、7つものものが体から外れた。残るは、背骨に入った痛み止めチューブと、胸から体液をだすためのドレーンである。

 夕食は昼よりも食べたが、それでも全体の2~3割だけ。2日間、ほとんど食べなかったことになる。
 夕方上がった熱が下がらず、胸の痛みも増してきた。
 夜には、S教授が病室へ来てくれる。ベッドを離れてどんどん歩くことで回復も早まると、アドバイスをくれた。「なぜ部分切除にならなかったか?」という疑問は解決していないが、熱がある状態では、今晩も尋ねることができなかった。

 消灯時間が近づくにつれて、また辛い夜の再来かと恐ろしくなる。看護婦に相談すると、痛み止めの座薬を入れましょうと言ってくれた。人生初の座薬を、女性の看護婦に入れてもらう。昼間のうら若い看護婦ではなく、経験ある頼もしい感じの人だったので助かった。
 この夜は、座薬のおかげで、前夜とは比較にならないほどよく眠ることができた。

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コメント

だんだん元気になってください。
元気になって良い写真いっぱい撮ってください。

ありがとうございます。
きっとお会いしたことがある方だと思います。
震災と、今回の手術の経験によって、自分の生き方を深めてゆかなければと思います。

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