入院前

2011年5月26日 (木)

行ってきます

 いまは5月26日午前3時。

 前回の続きを含めて書きたいことはいろいろあったのですが、明後日(5/27)の手術に備えて寝なければなりません。

 体調も精神状態もいいと思います。

 6時間後の9時過ぎには病院について、入院手続きをします。

 行ってきます。

2011年5月18日 (水)

95%以上の確率

 5月27日の手術まであと10日をきった。どれほど不安な日々を送るだろうと思っていたが、この1週間ほどはだいぶ落ち着いている。 手術を受けることは仕方ないと、あきらめることができたからだ。それは、知人の医師の方々が真摯なアドバイスをくれたおかげだった。それを 書いておきたい。

Img_0938s

 5月7日、咳を治すための抗生剤を3日分もらった。もし肺の影が感染症に起因するなら、抗生剤を飲むことで影も小さくなるかもしれないと聞いたので、3日分を2日で飲んでしまった。

 5月9日は、朝から順天堂医院へ。咳はだいぶ治まった。造影CT検査(造影剤(X線を通過させにくいヨウ素を含む液体)を静脈注射 しながらのCT)をうける。この1ヶ月間にCTを受けるのは3回目だ。震災後は1μSv/hの被爆を気にしていたのに、この3回で何万μSvの放射線を浴びたのだろう。
 その後すぐに、呼吸器内科のH医師の診察を受ける。待ちに待ったPETの検査結果が出ているはずだった。PETが陰性だったら 、結核QFTの陽性とあわせて、結核の疑いがでてくる。診察を受ける前の僕は、きっとそうなると信じこんでいた。
 H医師はこう切りだした。
「・・・造影CTを見るまでもなく、残念なことにですね・・・、(PET検査によるブドウ糖の)この集積は肺ガンを強く疑います。・・・」
 えっ?、「残念なことに」?、いったい何が起きたんだ? わけがわからず、思考が停止してしまった。
 PETで仮に陽性になったとしても、それはこれまでのガンの疑いを追認する程度だと思っていた。だが、H医師の口調は違っていた。 ガンの可能性がかなり強まったという。PET結果のどこからそれがわかったのか質問したが、よく理解できなかった。
 さらに悪いことに、肺門(肺の入口)近くのリンパ節への転移も疑われるという。なんということだろうか! それではガンの病期の初期(Ⅰ期)ではなく、Ⅱ期になってしまうではないか。Ⅰ期とⅡ期では生存率に大きな差があることを、本で読んでいた。
 わかりやすい言葉がほしくて、こう聞いた。
 「何割ぐらいの確率で、ガンなのでしょうか?」
 「もう95%以上です・・・」
 それを聞いて、初めて事の重大さがわかった。それ以上質問する必要は、なくなった。
 H医師は言った。
 「これで‘内科の診察’は終了します」
 この病院で最初に診てもらったH医師をできるだけ信頼しようと思って、これまで通院してきた。その医師に見放されたような、裏切られたような思いがした。あっけない「終了」だった。全身から力が抜けてゆくようだった。

 その後、呼吸器外科のS教授の診察を待つ。S教授の診察は2回目だが、今日も20人以上の患者が待っていた。有名な医師なのだ。ようやく順番が回ってきて、あわてて診察室へ入った。
 S教授はPETの結果を見ながらこう説明した。
「基本的に肺ガンですね、やっぱり」
 その理由の1つは、腫瘤付近のSUV(Standard Uptake Value:標準摂取率)という値が7.8もあるからだという。通常の細胞はもっと低く、1.5以上あるとガンを疑うらしい。肺門近くのリンパ節のSUVは2.5程度で、やはり転移の可能性があるという。
「ガンでないという画像ではないし、極めて典型的というわけでもない。これ以上はいくら議論してもしょうがないのです。胸を開いてみなければわからない。治療戦略上のオプションはあまりないですよ」
 さらにこうつけ加えた。
「手術でⅡ期かⅢ期かを確かめます。そしてきれいにとることです」
 Ⅰ期かⅡ期かではなく、Ⅱ期かⅢ期!かなのか。それが現実なのか。Ⅲ期の生存率は3割程度しかない。
 僕が不安な顔をすると、
「手術は私がやります。できるだけ山の仕事が続けられるように配慮しますよ。(ガンの確定診断をするための)生検はできるだけ小さくとります。1年以上かかるでしょうが、山にも復帰できると思いますよ」
と言ってくださった。
 手術までのあいだ検査が続くのだろうと思って聞くと、
「ほかの検査はいりません。もう手術まで来なくていいですよ」とのことだった。
 肺を切る手術をするというのに、ずいぶん簡単なものだ。4回診察を受けたH医師は多少信頼できるようになっていたが、2回の診察で数十分話をしただけのS教授を信頼しろというのは難しい。本当にこのまま手術なのかと思っているうちに、診察は終わってしまった。
 待合室で呆然としていると、セカンドオピニオンについて何も話さかったことに気づく。看護婦さんに事情を話して、もう一度診察室へ入れてもらった。
 S教授は言った。
「セカンドオピニオンを受けても迷うだけで、お薦めしません」
 たくさんの患者さんが待つなか、多くの言葉を使ってその理由を説明してくれた。だが、「心配なら紹介状を書きましょう」とは最後まで言ってくれなかった。それが患者を思う本心からなのか、別の理由からなのか、肺ガンという宣告をされた僕にはわからなかった。
 診察費はすべてあわせて、3割負担で10,100円。こちらに選択権はなく、言われた金額を払うだけだ。高いか安いかもわからない。

 フラフラしながら病院を出る。気持ちを落ちつけたくて、途中のベンチに座りこんだ。ジュースを飲みながら30分近くボーっとした。「アーッ」とか「ウーッ」とか、ため息交じりの声を何度も上げていただろう。脱力感で立ち上がれなかった。
 1時間以上かけて帰宅すると、すっかり疲れていた。妻に簡単に報告して、現実から逃れるように布団に入った。

2011年5月11日 (水)

ガンなのか結核なのか

 連休は、次男の4ヶ月の誕生日をみなで祝うため、千葉の実家に帰った。
 日常生活はなんの問題もないのだが、咳がつづいている。痰も出るようになった。熱はないので、ガンか結核の自覚症状が出てきたのではないかと不安になる。
 夜はひとり別の部屋で寝るようにしていたが、子どもたちも同じような咳をコンコンとし始めた。変な病気をうつしてなければよいが。特に、赤ん坊の次男が心配だ。

Img_08222

 実家でとっている読売新聞で、「がん共生時代 こころ」という連載を読んだ。ガンという特殊な病気がもたらす心の病を見つめたものだ。自分もいつか、ガンがきっかけでうつ病になる日が来るのだろうか。
 その記事をネットで検索すると、読売新聞の医療関係の記事を有料で掲載しているヨミドクターというサイトを見つけ、そのなかにCT検診のうつしすぎる功罪についての記事があった。
 「CT検査による肺がん発見率は、X線検査の4、5倍に達する。その検出力の高さが逆に、不利益も生んでいる」という内容だ。「CT検診では、2~3割の人に何らかの異常が見つかるが、大半は、肺炎や結核が治った後の痕跡など良性の病変だ」という。僕の肺に見つかった影もそうではないだろうか・・・。
 だがもしガンではなく結核だとしたら、子どもたちにうつしてしまった可能性もあり、素直には喜べない。診断がつかないというのは、なんと悩ましいことなのか。
 翌5月7日は、10日ぶりに順天堂医院での診察日だ。ガン細胞の有無や転移を調べるPET(Positron Emission Tomography:陽電子放射断層撮影)検査や、結核感染の有無を調べるQFT(QuantiFERON-TB2G:クオンティフェロン)検査の結果が出る。ガンの可能性が高いのか、それとも結核の可能性があるのかという診断に、一歩近づく。診察前日は、不安とかすかな期待で興奮した。

 5月7日、順天堂大学医学部附属・順天堂医院の呼吸器内科でH医師の診察を受ける。
 QFT検査は陽性で、結核の感染の疑いがあるとのことだった。だがこの検査では、いま結核に感染しているのか、過去に感染したのかはわからないという。肝心のPET検査の結果は、連休を挟んだためまだ出ていなかった。がっかりした。
 咳や痰がでて胸も少し痛むことを話すと、胸部のX線撮影を行い、結核菌を調べるための痰もとった。X線撮影の画像はすぐに出たが、結核を疑う病巣や、最初に見つかった影(腫瘤)の増大などは見られなかった。いま出ている咳は肺の影に由来するものではなく、気管支炎だろうとの診断だった。子どもたちに、よくわからない感染症をうつしてしまったという心配は消えた。
 H先生は、気管支炎を治すためということで抗生剤をだしてくれた。もし肺の影が(発症していない)感染症によるものならば、影が小さくなる可能性もあるという。2日後に予定しているCT検査までに効果が出るかわからないが、希望が持てる話だった。
 結核の話が続いたので、自分はもしかしたらガンではなく結核などの感染症ではないかと楽観的に考えるようになってきた。

 診察後、順天堂医院のなかで別の医師にお会いした。その方は、中学校の剣道部で1年上の先輩だったDさん。循環器内科の心臓疾患専門の准教授になられていた。Dさんが順天堂にいることを知ったのは、まったくの偶然だった。その1週間前に、中学校剣道部の同期のKが28年ぶりに連絡をくれたのだ。そのやりとりで判明した。なんとタイミングのいい出会いなのだろうか。
 そんなことを考えていると、もう1つの不思議な出会いを思いだした。今年の1月に、ラジオで俳優の菅原文太さんと対談する機会をいただいた。77歳の菅原さんは4年前に膀胱ガンを患い、入院治療の末に仕事に復帰した。お会いしたときはただ感激したが、いま思うとあの出会いは、何かを暗示していたのではないかと思う。
 Dさんは、昔の面影そのままだった。優しく温厚ななかにも芯のある雰囲気で、こんなお医者さんに診てもらったら安心できるだろうなと思った。僕の病気とその治療について真摯なアドバイスをくださった。
 「こんな仕事をしているとね、若くして死んでゆく患者さんを見ることが少なくないんだ。そんなとき、自分が生かされているということを強く自覚するよ。君もできるだけ早く治療した方がいい」
 僕も好きな登山で、多くの友人を亡くした経験がある。Dさんの言葉は重かった。

2011年5月 1日 (日)

肺ガンとは

 昨日は、長男が通う保育園の親たちとのバーベキューパーティー。
 7家族30人近くが集まったが、僕の病気のことは誰も知らない。どんな顔をしたらいいのかとまどうが、体はいたって健康なので、何の問題もないように振るまった(と思う)。
 だが1日中外にいて、前々日から引き始めた軽い風邪が、少し悪くなった感じだ。
 こんな気候のいい時期に、風邪を引くのは珍しい。ときおり咳がコンコンとでる。肺が苦しい感じもする。精神的なもののような気もするが、やはり肺になにか問題があるのかと不安になる。
 気になるのは、結核などの感染症の可能性が0ではないと言われていることだ。医師からは、もし感染症だとしても排菌(菌を排出して人に移す)するレベルにはなっていないと言われたが、0歳の次男を含めて参加者には子どもが多いので気になる。マスクは手放さなかった。
 今日はさらに咳が増えて、胸がつかえる感じもはっきりするような気がする。いったい自分の身になにが起こっているのか・・・。

Img_0765s

 話は戻る。
 CTで肺に影が見つかった日(4/15)はショックだったが、もうひとつ実感がわかなかった。体調には何の問題もなくぴんぴんしているのに、本当に大病なのだろうか。病院の帰りに寄った店で、預かったCT画像の大きな袋を置き忘れてしまった。
 帰宅するとまず、大学同期の医師Lに事情をメールした。

”お医者さんとして教えてほしいことがあってメールします。・・・がんの可能性が高いのだろうか?・・・
肝臓は心配していたが、肺はまったく無警戒だったのでショックです。
42歳、現実は受け止めなければ・・・。”

 Lの答えは、
”・・・肺は専門外なので、週明けに呼吸器内科の専門医に聞いてみます。・・・この段階ではなんとも言えないというのが妥当な所かな。また連絡します。あまり心配せんように。”

 病院から預かったCT画像を全部見せてと言ってきたので、翌日(4/16)写真に撮って送った。
”Lへ
返事をありがとう。
「あまり心配せんように。」という言葉だけで救われる。・・・”

 ネットで肺ガンについて調べてゆくと、他の臓器のガンに比べて発見しづらく、診断もしにくく、死亡率の高いガンであることがわかってくる。手術で腫瘍を切除する場合、初期の場合でも肺の最低4分の1を切除しなければならないようだ。なんと恐ろしい病気になってしまったのか。調べていると左胸がつまるような、痛いような気がする。
 CTを撮った病院で紹介されたのは、最寄のS大学病院。だが、あまり聞いたことのない名だ。肺ガンの治療で実績のある病院は東京・神奈川にいくつかあるが、紹介状を書き直してもらってもいいものだろうか。
 相談する人を探すため、大学関係やこれまで接点のあるお医者さんの名を書き出してみた。全部で30人以上いるが、呼吸器の専門はいない。

 翌4月17日、L医師からメールが来る。
”・・・癌と聞くと、不治の病、末期などへとイメージがすぐに飛躍してしまいがちだが、早期のものから末期まで幅が大変広いので、早期に見つかれば、手術などの治療は必要でも簡単に治る病気というのが医療者の認識です。早期に見つけるのが、一番大事で、早期に見つかれば、恐れるに足りずです。今回は症状のない早い段階で偶然にも見つかり、不幸中の幸いであったと思う。悪いのものでなければ、さらに良いが。・・・”

 この日は、長男の通う保育園の親同士の集まりがあった。
 たくさんの家族に会うが、自分がこれまでとは違うものになってしまったような気がして、疎外感を覚える。親の1人に医師がいたので病院について相談するが、ここが良いというところはわからない。その方はいつでも紹介状を書きますと言ってくれた。

 帰宅後、大学の先輩の医師へどこの病院がよいか尋ねるメールを送る。
 その夜は先輩からの返事を待ちながら、ネットで肺ガンや病院についてさらに調べた。
 私立大病院のページには、最新の治療法を導入しているとか、これだけの実績があるとか良いことを主に書いてあるところが多い。最初はそれを見て安心していた。
 が、神奈川県立がんセンターのページを見ると、おそらくこれが事実なのか思えるような厳しいことが書いてある。肺ガンならば、やはり助からないのではないかと思えてくる。
 寝室で寝息を立てている子どもたちの顔が目に浮かぶ。今度キャンプに行こうとか、大きくなったら山登りや海外旅行に行こうとか、たくさんの約束をしてきた。自分はもう、その約束を果たすことができないのだろうか。そう考えると、涙がボロボロこぼれてきた。

2011年4月29日 (金)

影が見つかる

 東日本大震災から、昨日で49日目。
 亡くなった方々は、次の生に生まれ変わったのだろうか。

 地震から数週間は、右往左往して不安な毎日だった。しかし、そろそろ動き出さなければと考え始めた1ヵ月後に、震災よりも大きな衝撃を自分が受けるとは思ってもいなかった。

 4月15日、健康診断の追加検査で撮ったCT(Computed Tomography:コンピューター断層撮影)の結果がでた。
 通常の胸部レントゲンにかすかな白いものがあると言われて、この時期に放射線被爆かと思いながらしぶしぶ受けたCT検査である。健康そのものなので、「結局なにも見つかりませんでした」という言葉以外ありえないと思っていた。

 が、診察室に入った僕の目の前には、信じられない画像があった。左肺の中央あたりに明瞭な影がある。本当に自分の肺の写真なのか。
 医師の説明によると、それは腫瘍の疑いがあり、肺の腫瘍で良性のものは少ないという。その病院ではこれ以上検査ができないので、大学病院へ行くよう勧められた。
 ガンなのか!
 まったく予期しない病名だった。このときから、不気味な影の気配に怯える日々が始まった。

 ある写真家が記した言葉が、脳裏に浮かぶ。
 Life is what happens to you, while you are making other plans.
 (人生とは、何かを計画しているときに起こる’別の出来事’のこと)

 これを書いている4月29日、手術の日どりは既に決まった。
 5月27日。
 CTの影が悪性腫瘍かどうかは、まだわからない。今の医学では診断できないのだ。だから最悪を想定して肺にメスを入れ、影がなにかを手術中に診断する。そしてガンならば、その場で肺の4分の1を切除する。
 もしガンでなく、感染症等による炎症の影ならば、ある程度の時間治療すれば完治するだろう。
 だが、もしガンならば手術が問題なく終わったとしても、再発(転移)の可能性がある。肺ガンの再発は、ほぼ死を意味するという。その可能性は大きくはないが、確かにある。

 カメラマン&ライターとして、そして幼い2児の親として、これからやりたいことは多くある。しかし残された時間が限られるなら、病とどう向き合ったかを書き残さなければならないと思う。
 とまどいや悩みを、できるだけそのまま記しておきたい。
 それがこのブログを始める意味だ。

Img_0526ss

その他のカテゴリー